こんにちは、店長の前田です!
(。・ω・)ノ゙ コンニチハ
イギリスで産声を上げたスーツですが、
イタリアではどのように広まったのでしょうか?
今日はそのあたりを見ていきましょう。
ヨロシク<(_ _*)X(*_ _)>ヨロシク
イタリアのスーツの歴史は、
ナポリを含む南の地方がポイントなんですね。
( ・◇・)?(・◇・ )
イタリアはローマ帝国の分裂以降、
それぞれの場所で、それぞれの文化が育っていて、
同じ国でありながらファッションはバラバラでした。
そんななか、
いろんな民族がナポリを支配していきます。
それと同時に、宮廷ごとにおかかえの
テーラーをはじめ、香水をつくる人、宝石をデザインする人が
みんな一緒にイタリアの地にやってくるわけです。
で、その征服者が去ると、
また新しい征服者がイタリアにやってきて、
同時に違ったおかかえの人間が来る、と。
その繰り返しがイタリアの歴史のなかでありました。
そんなことをナポリを中心とした南の人間たちは見ていて、
特にファッションには影響されました。
最初は真似をしていくものでしたが、
だんだんと服づくりがうまくなっていったのです。
( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・
また、スーツの文化が入ってくる背後には、
イタリアの一部がイギリスの植民地だったこともあります。
イギリス人は移動のときに
昼間の服、夜の服、船の上で着る服とか、
じつにいろいろな洋服を持ってくるんですね。
そのなかにスーツもありました。
それもまた、
ナポリを中心とした南の人間にとっては刺激となり、
さらに服づくり、スーツづくりが極まっていったわけなのです。
∑(〃゚ o ゚〃) オオッ!!
という感じで、
イタリアのスーツの歴史というのは、
イギリスの影響を色濃く受けたものでした。
しかし、イタリアの国民性か、
そのまま真似てつくったり着たわけではなく
クラシカルな部分は踏襲しつつ
個人個人のセンスでアレンジが加えられたのです。
スーツを生み出したのがイギリスだとすると、
それをファッションという文化に
育て上げたのがイタリアだといえるんですね。
♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!